人生に行き詰まったときに読む、”座右の書” 色川武大(阿佐田哲也)「うらおもて人生録」

人生に行き詰まったときに読む、”座右の書” 色川武大(阿佐田哲也)「うらおもて人生録」

 私の場合、仕事で失敗して落ち込んでしまった時に、よく読む本があります。それは、色川武大(阿佐田哲也)「うらおもて人生録」です。

 色川さんは、麻雀をはじめ様々な博打に精通されており、ギャンブルの神様と呼ばれる程のお方。また、小説家として直木賞を受賞するなど一般社会においても成功をおさめられました。本書は、そんな稀有な経験を持つ著者が、生きていく上で必要な“知恵”がふんだんに紹介されています(特に劣等生向け)。

 特に、大人の階段を登る時期の、学生、新社会人の10代、20代の方にはぜひ読んでいただきたい本です。読んだ後に思いましたが、この内容でワンコイン近くの金額で買えちゃうという恐ろしくコスパ激高な本書です。(古本屋ではあまり見つからないかも。)

本書との出会い

 私は中学生で麻雀を覚え、高校生になっては、友人宅の屋根裏部屋で週末はよく卓を囲み、夜通し遊んでました。(なんとも灰色の高校生活…。楽しかったけど。)そして、麻雀の魅力に取り憑かれていた私は、予備校時代に、1冊の本と出会いました。それが、麻雀小説のバイブル「麻雀放浪記」(阿佐田哲也著)です。

 戦後のどさくさの時代、「坊や哲」という黒シャツの主人公が個性豊かな麻雀打ち達と対決する麻雀の小説。野球漫画「ドカベン」のような、個性的なキャラクターが登場し、奇抜な戦略で相手と戦う、ややファンタジーがかった内容です。昭和40年代、この本が世に出て麻雀ブームが巻き起ったらしいです。それぐらい凄い傑作娯楽小説。少年マガジンで連載してた『哲也-雀聖と呼ばれた男』の原作と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

 私は、青春編、風雲編、激闘編、番外編とすぐに全て読んでしまい、すっかり阿佐田哲也のファンになってしまいました。ちなみに、阿佐田哲也という名前は色川武大さんのペンネームです。つまり、同一人物。“(麻雀で)朝だ徹夜だ”から取ったとか…。それはさておき、麻雀放浪記から派生して、「Aクラス麻雀」や「ドサ健ばくち地獄」、「牌の魔術師」など次々と著書の作品を読み漁っていきました。

 その中で、出会ったのが色川武大(いろかわ たけひろ)「うらおもて人生録」です。本書は、20歳ごろに出会った本で、私の人格形成において、かなりの大きな影響を及ぼしていると思います。私はこれまでこの本を2冊買っております。というのも1冊目は風呂で読んでたせいでボロボロになり、挙句ページが抜け落ちてしまったので買い直したのです。しかし、2冊目も現在表紙がなくなってます。(笑)とにかくそれぐらい読んでます。


うらおもて人生録 (新潮文庫)

ここからが本題です。

 すっかり前置きが長くなってしまいましたが、そんな私にとっての座右の書、「うらおもて人生録」は、色川さんの人生が詰まった本です。

 ご本人の若いころ、サイコロ博打や麻雀などの鉄火場を渡り歩いた、濃密なギャンブル体験で悟ったこと、そして直木賞を受賞されるなど、小説家として成功された社会的経験がミックスした、まさに裏も表も知り尽くした色川さんだからこそ書き記すことが出来る、現実社会で役に立つ“考え方”が、紹介されています。博打場で、勝てずにムキになっている若者を見て、「兄ちゃんそんなんじゃいつまでたっても勝てねぇよ…。」と面倒見のいいおっちゃんが「こうやってやるんだよ…。」と、放っとけずにその手ほどきを教えてくれるような、そんな愛に溢れた本なのです。語り口がとても優しい!

 特に、運の考察は興味深いものがあります。私が知っている中で、近いことを言われているのは、美輪明宏さんや萩本欽一さんかなぁ。あ、あとはサイバーエージェントの藤田晋一社長とか…。本書前半の色川さんの生い立ち部分、“愛”について語った部分は非常に大事なパートであるとは思いますが、色川さんの書籍を初めて読むのであれば、“プロはフォームの世界”の章から読むのが取っ掛かりやすいと思います。本ブログでは、私の人生の指針になった、「うらおもて人生録」のエッセンスを少しご紹介します。

プロは持続を旨とすべし。

人は誰でも何か本業を持ち、何かのプロになっていくわけだから、プロのセオリーを身につけなくちゃならない。

俺は、その頃、ばくちで一生、身を立てていこうと思ってたから、それにはどうすればよいかと思って、一生懸命、先輩たちを眺めていたわけだ。するとわかったのは、プロは持続を旨とすべし、ということ。

少しでも長く、一生に近い間、バランスを取ってその道で食わなくちゃならない。

 お金を稼ぐこと、つまり仕事をするにあたり、相手の都合お構いなしに自分勝手にやっていては、誰からも相手にされなくなりますよね。目先の利を取るやり方では相手が警戒してしまい、いずれ逃げられてしまいます。

 長い人生において、少しでも多く利を得ると考えた場合、まずは相手と長く付き合うスタンスを取ることが大事であるということでしょうか。

これだけ守っていればなんとか生きていかれる原理原則、それがフォーム。

(丁半博打を例に出し)アマチュアはね、次の目を丁か、半か、あれこれ思案して当てようとするんだね。10回張ると、とにかく6回は当てて、勝ち越そうとする。プロは、極端にいうと、1勝9敗でも、1勝すればプラスになっているように張る。

(中略)

つまりこれがフォームなんだな。フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件(六分)を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。

ちがういいかたをすると、思いこみやいいかげんな概念を捨ててしまってね、あとに残った、どうしてもこれだけは捨てられないぞ、と思う大切なこと。これだけ守っていればなんとか生きていかれる原理原則、それがフォームなんだな。

だから、プロは、六分四分のうち、四分の不利が現れたときも平気なんだ。四分は悪くても、六分は必ずいいはずだ、と確信してるんだね。

 生きていると、良い波が来ることもあれば、悪い波が来ることもあります。ずっと一定なことなんてあり得ません。人生はとても不安定です。そんなときに、自分のフォームというものを身につけておくと、悪い波が来た時でも耐えしのげるということでしょうか。

 私は営業の仕事をしておりますが、それこそ成績にとても波があります。うまくいく時はどんどん取れますが、逆に全くダメな時は何をやってもダメです。波をとても感じます。あまり参考にはならないかもしれませんが、私の仕事のフォームとして、とにかく相手の喜ぶことを率先してやるということを心掛けております。

 例えば、クライアントには期待以上の価値を提供すること、社内で困っている同僚がいればそれを助けること、とにかく自分がすべき仕事以上のことをするイメージです。このスタンスで仕事をしていると、普通に働くよりも余計に時間が取られてしまうのですが、自分が相手に貢献したエネルギー以上のものが巡り巡っていつかは自分に返ってくる感覚が経験的にあるんですよね。たとえ貢献した相手から返ってこなくても、思いがけないところからすっと来ることもあります。

 いまいち根拠がはっきりしない事象なのですが、振り返ってみると不思議とそうなっているように感じます。とにかくこのフォームを崩さない限り、悪い波が来てもそのうちなんとかなるだろうと思えるのです。自分の行動指針・軸を持つことが、不安定な波を乗り切るうえでとても大切ですよね。

全勝に近い成績をあげることは危険

さて、ばくち場の大人たちを見ているとね、派手に大勝ちを続けて皆から一目置かれている人がある。ははァ、この人、強いんだな、と俺も思うけれど、だんだんそういうことにごまかされなくなるんだな。

(中略)

けれども、勝ちまくってしまうというのも、ちょっと危険なんだな。誰だって勝ってるときは気分がいいからね。全勝に近い成績をあげてしまうのは、フォーム以外の運を大きく食っているからだということを忘れてしまうんだね。で、大多数の人が、自然にまかせて、アマチュア式に思いきり勝ってしまうんだ。

 物事の結果において、それは運によるものか、それとも実力によるものかという認識は意外と難しいですね。まぐれの大勝ちでも、ついつい自分の実力であるかのように自分を評価してしまいます。しかしそれが知らず知らずのうちに、運を消費してしまっていることになっており、大きな負けを招く要因になってしまうということではないでしょうか。

 宝くじなんかが例として考えやすいかもしれません。宝くじで大金を手に入れた人は不幸になる、という話を聞いたことがありませんか。自分の実力とは別のところであれだけの大金を手にしてしまうと、やはり大変な運を消費することになるのでしょう。そこに因果関係を感じざるを得ませんね。だから、自分がどれだけ運を使ったかという認識は、自分の身を守る意味でも大切な考え方かもしれません。

本当に怖い存在は、9勝6敗の成績の人。

俺にとって、本当に一目置かなければならない相手は、全勝に近い人じゃなくて相撲の成績で言うと、9勝6敗ぐらいの星をいつも上げている人なんだな。

これは、その人の生き方を眺めていると、わかるんだ。ちょっと地味で、もちろん数は少ないけれど、いるんだよこういう打ち手が。

(中略)

14勝1敗の選手を、1勝14敗にすることは、それほどむずかしくないんだ。ところが、誰とやっても9勝6敗、という選手を、1勝14敗にすることは至難の業だね。

それで、この道を(どの道でも上位にいけば同じことだが)長くやっていると、相手はそういう選手ばかりになるんだ。

 全勝をあげる人はとても華やかに見えるかもしれませんが、さきほどの宝くじのように、その反動が大きくやってきやすい状況を招きます。何度も言うように長い人生において、そのスタンスでを走り続けていくことはとても危ういのでしょうね。

 色川さんもばくち場で戦いを積み重ねていき、自分のフォームに磨きをかけていったと思うのですが、最終的に落ち着く形が9勝6敗ぐらいのスタンスだったのでしょうね。そして上のクラスにいくとそんな人ばっかりだったとは大変興味深いです。

適当な負け星を引き込む工夫

それで俺は考えたんだね。これは勝ち星よりも、適当な負け星を引き込む工夫のほうが、肝要で、むずかしいことなんじゃないのかな。

若いときは、気力も体力も充実してるから、わりに勝てるんだよね。放っておくと、13勝2敗ぐらいでいい気になって、持続が軸ということを忘れそうになるんだ。

自然にまかせて勝つということは、そういう大黒星をしょってしまう可能性をひきいれることでもあるんだね。

適当な負け星を選定するということは、つまり大負け越しになるような負け星を避けていく、ということでもあるんだね。

 独特な考え方ですね。勝ち過ぎたら大敗を招くから、敢えて負ける。長い戦いを続けていくには、勝ち負けを自分でコントロールすることが必要がある。とにかく持続が旨であるので、やり過ぎてはいけないという感覚なんでしょうか。

まだこれらは導入部です。

 以上、本書を引用して紹介させていただきましたが、運の捉え方に関する考察は、本書ではより詳細に書かれております。

 また、運の考察だけではなく、スランプの抜け出し方や、先を取ることの重要性を説いたりなど、社会生活を生きていくうえでのアドバイスがふんだんに書かれております。

ちなみに、トピックで言うと、こんな感じ。

・運は結局ゼロ
・実力は負けないためのもの
・眺めるということ
・何を眺めるか
・まず負け星から
・負けてから打ち返し
・受け身と小手返し
・向上しながら滅びる
・自分から二軍に行って
・スケール勝ちが一番
・前哨戦こそ大切
・動いちゃいけないとき
・勝ち癖負け癖
・欠陥車の生き方
・最高の生き方
・球威をつける方法

 自己啓発本より、これ一冊を何度も読んだほうが、よっぽど良いように思います。ホントにオススメですよ。

△ドンタコス


うらおもて人生録 (新潮文庫)